「人間至る処青山あり」の「青山」とは?
先日のテレビ番組で、iPS細胞の発見によりノーベル医学生理学賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授が、ご自身の座右の銘として「人間万事塞翁が馬」を挙げていました。
これは中国の前漢時代、紀元前2世紀にまとめられた『淮南子』という書物に出てくる言葉で、人生の幸・不幸は予測しがたく、幸運に喜ぶことなく、不幸も悲しむにあたらないとの喩えとされます。
昔、塞翁という老人が飼っていた馬が逃げ出してしまったものの、しばらくすると名馬を連れて帰ってきたり、塞翁の子が落馬し足を折ったものの、直後に始まった戦争の兵役をまぬがれて無事であったという故事によります。
「人間万事塞翁が馬」と似た言葉に、「人間至る処青山あり」があります。
実際、こちらを座右の銘にしている経営者などもいるようです。
いずれも「人間」という言葉から始まります。
読み方としては「にんげん」と「じんかん」という2つがあります。
「じんかん」とは、人の間、つまり世間のことです。
「にんげん」とはまさに人のことで、人生という意味になります。
以前はどうも、
「人間万事塞翁が馬」の「人間」は「にんげん」、
「人間至る処青山あり」の「人間」は「じんかん」、
と読むのが通例だったようです。
しかし、いまではどちらもありで、山中先生は「人間万事塞翁が馬」の「人間」を「じんかん」と読んでいらっしゃいました。
さて、前置きが長くなりましたが、今回取り上げたいのは「人間至る処青山あり」の「青山」の意味です。
なんとなく、文字だけを見ていると、人間はどこに行っても青い山があって住めば都である、とういような印象を受けます。
しかし、「青山」とは実は、骨を埋める場所、すなわちお墓のことなのです。
もともとは中国の北宋時代(10世紀前後)に詩人の蘇軾が弟に送った詩の一節に、
「是処青山可埋骨」
とあり、骨を埋める場所を「青山」と言っているのです。
これを踏まえて、日本の江戸時代末期、釈月性という僧が次のような漢詩を詠みました。
(漢文)
男兒立志出郷關
學若無成不復還
埋骨何期墳墓地
人間到処有青山
(読み下し文)
男児志を立て郷関を出ず
学若し成る無くんば復た還らず
骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん
人間到る処青山あり
(大意)
男子がひとたび志を立てて故郷を出たからには
学業の成就をみなければ故郷に帰るものではない。
骨を埋めるのは必ずしも先祖代々の地を望むものではない。
この世はどこにあっても墓地となる青山はあるのだから。
ということで、「青山」とはお墓のことなのです。
そして、ここでいう「青山」とは必ずしも石のお墓に限るわけではありません。
骨を埋める=納める場所としての「青山」は、現代においては様々な選択肢があり、それぞれの「青山」を各自が考える時代になっているのではないでしょうか。
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