有名女性脚本家のお墓事情
日本経済新聞の人気コラム『私の履歴書』で令和元年5月末まで連載されていたのが、有名脚本家である橋田壽賀子さん(本名 岩崎壽賀子、大正14年(1925年)生まれ)のお話です。
橋田さんといえば、NHKの連続テレビ小説『おしん』やTBSのテレビドラマ『渡る世間は鬼ばかり』を始め、数々の作品で知られます。
特に、1983年から84年にかけて放送された『おしん』は平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%を記録。テレビドラマにおける最高記録として、いまだに破られていません。
プライベートでは1966年、41歳のときにTBSのプロデューサーだった岩崎嘉一氏と結婚。5歳年下の岩崎氏と同じくTBS社員であり、仕事で親しかった石井ふく子氏に頼んで申し込んだら、あっさりOKをもらったというエピソードを紹介していらっしゃいました。
結婚後、岩崎氏からは「どんなことがあっても、俺の前で脚本を執筆するな」と言われ、主婦業にはいっさい手抜きなし。岩崎氏が寝ている時や仕事で出かけている間に原稿を執筆したといいます。
しかし、岩崎氏は病気のため1989年に死去。以来ずっと熱海の自宅で生活していらっしゃいます。
そんな橋田さんが『私の履歴書』の最終回で語ったのは、ご自身のお墓事情。
ご主人の岩崎氏が亡くなった際、お骨は沼津市にある義母(岩崎氏の母)のお墓に入れたというのです。
岩崎氏は次男ながら橋田氏によるとかなりのマザコンで、義母さんが大好きだったからのようです。
ところがその後、橋田氏は義兄から「あんたは入れにゃあ」と言われてしまいました。お子さんもいなかったので、それをきっかけにご主人方の岩崎家との縁は切れたそうです。
橋田氏はそこで、ご自身も会員である日本文藝家協会が運営する「文學者之墓」を購入(生前登録)しました。
「文學者之墓」は静岡県小山町にある冨士霊園の文学碑公苑に設けられていて、日本文藝家協会の正会員・準会員ならだれでも登録でき、本人と配偶者1名に限り埋葬できる墓所です。
「文學者之墓」には筆名と代表作品一篇、没年月日(西暦)、享年(満年齢)が刻まれ、文学碑として一般にも公開されています。
橋田さんによれば、橋田壽賀子という筆名と代表作として「おしん」が刻字されるそうです。
また、
「いわゆる終活はずっと前からやっていて、全ての財産は橋田文化財団に行くようになっている。葬儀もしないでと言ってある。静かに消えていき、忘れられたい。」
「墓には夫婦の腕時計を入れる。死後、その墓の中で再び夫婦の時間が流れるように。」
と結んでいらっしゃいました。
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