日本人はなぜ遺骨を大事にするのか(6) ―「骨」と死生観―
多くの日本人にとって、死生観と「骨」には密接な関係があるようです。
簡単に言えば、「人は死んだら骨になる」という考え方です。
いつ頃からこうした死生観ができあがったのかはよく分かりませんが、おそらく日本の仏教において「骨」が繰り返し語られたことが理由のひとつではないでしょうか。
例えば、室町時代の有名な禅僧、一休が著した『骸骨』という書物があります。
一休(一休宗純)は後小松天皇の落胤ともいわれ、詩や書の才能に恵まれ、また戒律や形式に囚われない自由奔放な生き方を貫き、87歳という当時としては驚異的な長寿を全うしました。
『骸骨』はその一休が、60歳を過ぎて著した法語(民衆向けに仏教の教えを仮名で書いた書物)です。
そこには、様々な人間の生活を思わせる骸骨の群像を描いた挿し絵と和歌が引用されており、世の無常を説いています。
一休はまた、先端に髑髏を載せた杖を持ってわざわざ正月に「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」「ご用心、ご用心」と言いながら京都の町を歩いたといわれます。
まさに「人は死んだら骨になる」という考え方を流布していたのです。
もう一人、一休と同時代に活躍したのが、浄土真宗において「本願寺中興の祖」といわれる蓮如です。
蓮如と一休は面識があり、頓智のやり取りがあったとも言われます。
浄土真宗は現在、国内ではもっとも信者の多い宗派ですが、葬儀や法事などの場でいつも詠みあげられる「白骨の御文」という短い文章があります。
「御文」とは、蓮如が布教のため、浄土真宗の教義を手紙の形で分かりやすく説いたものです。
全文を引用しておきます。
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それ、人間の浮生(ふしょう)なる相(すがた)をつらつら観ずるに、おおよそ儚(はかな)きものは、この世の始中終(しっちゅうじゅう)、まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。
されば、いまだ萬歳(まんざい)の人身(じんしん)をうけたりという事を聞かず。
一生すぎやすし。
今に至りて誰か百年の形体を保つべきや。
我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人は、元のしずく、末の露より繁しと言えり。
されば、朝(あした)には紅顔ありて夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、即ち二つの眼(まなこ)たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李(とうり)の装いを失いぬるときは、六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙となし果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
あわれといふも、なかなか疎かなり。
されば、人間の儚き事は、老少不定のさかいなれば、誰の人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深く頼み参らせて、念仏申すべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。
ここでも、「白骨となれる身なり」「ただ白骨のみぞ残れり」として、「骨」が死のメタファーになっています。
こうした宗教的なメッセージを繰り返し反芻する中で、日本人の間には「骨」への深い関心、そして「骨」を大事にする心性が育まれたのではないでしょうか。
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