お墓と弔いの歴史(1)お墓にはどんな種類があるのか?
以前の日本では、「お墓」といえば四角い石に家名や家紋などを彫った和風の家族墓が一般的でした。
しかし、少子高齢化など時代の変化とともに洋風のお墓が増えたり、最近では海洋葬や樹木葬なども注目されています。
こういう時代だからこそ、お墓と弔いの歴史を振り返ってみることには意味があると思います。
まず、お墓の種類について整理してみましょう。
お墓とは物理的にいえば一応、「亡くなった人の遺体や遺骨を収めて弔う構造物」と定義できます。
そして、多くの日本人にとって「お墓」といえば、和風の家族墓(承継墓)のイメージが強いのではないでしょうか。
これは、四角い墓石を積み重ねたもので、下から芝台、中台、上台、そして一番上に縦長の竿石(さおいし)が載ります。
また、芝台の下に遺骨を収めるカロート(納骨棺)を設置します。
家族墓は家族単位で亡くなった人の遺骨を収めるため、竿石には「〇〇家之墓」とか「南無阿弥陀仏」といった彫りを入れ、上台には家紋を刻んだりもします。
もともとこの形は、インドの「ストゥーパ」(卒塔婆)に起原を発する「五輪塔」や「供養塔」が原型とされ、それが江戸時代の中期頃、簡略化されたものといわれます。
おそらく簡略化されたきっかけのひとつは、江戸幕府が導入した「檀家制度」によってお寺の敷地内に墓地を設けるようになり、スペースを節約する必要があったからと考えられます。
また、貴族や大名のように大がかりな墳墓や供養塔を造ることは庶民には難しかった中で、簡略化されたお墓であればコスト的にも手が届きやすかったはずです。
さらに、明治時代になると、旧民法で「家制度」が法律上、規定され、また火葬が普及したこともあって、親族のお骨を収める家族墓が日本中に広がったのではないかと思われます。
このように和風の家族墓が普及したのはそれほど古いことではなく、いま、時代の変化とともにお墓の種類が多様化しているのも自然な流れと言えるでしょう。
例えば、最近の新しいお墓として、洋墓やデザイン墓と呼ばれる洋風のタイプがあります。
四角い墓石を積み重ねるのではなく、横長の石をカロートの上に置くだけといった形で、石には故人の好きな言葉などを刻んだりします。
こうした洋風のタイプは、個人主義の定着もあり、“家のお墓”というより“個人のお墓”として認識されている傾向があります。
また、少子高齢化が進んだことで増えてきているのが、納骨堂タイプのお墓です。
これは、建物の中の納骨室に故人の遺骨を収めるもので、いちから家族墓をつくるよりコストがかからず、また都心など立地の良いところにあるのでお参りしやすいという特徴もあります。
ただし、納骨堂タイプは多くの場合、一定の年数が経つと多くの人の遺骨とともに合葬される永代供養墓に移されます。
さらに、お墓にこだわらない、樹木葬や海洋散骨、手元供養なども広がっています。
これらには、構造物としてのお墓はないかもしれませんが、考えようによっては「故人を弔う」という機能的な意味での“お墓”を大地や大海原、あるいは手元においた遺骨そのものなどに求めているということができるように思います。
広い意味でお墓の種類は今後、ますます多種多様になっていくはずです。
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