仏壇物語(1)日本で「仏壇」はどのように広まったのか?
日本では一般に、亡くなった人を弔うためにお墓とともに仏壇が利用されます。
お墓も仏壇も祭祀(さいし)財産とされますが、お墓が屋外にあるのに対し、仏壇は屋内にあります。
新しいシリーズとして随時、「仏壇」について取り上げていきます。
「仏壇」とは一般に、仏教において仏像や位牌を安置して礼拝するため、家屋の中に置かれた箱状の仏具です。
仏壇は、仏教国ならどこにでもあるわけではありません。
日本と並ぶ仏教国のタイでは、寺院が生活の身近にあるためか、各家庭に仏壇を設けるといった習慣はありません。
それでは、日本で「仏壇」はどのように広まったのでしょうか。
そもそも、日本に仏教が伝わったのは6世紀頃とされ、まずお寺が建てられました。
日本で初めての仏教寺院が大阪の四天王寺と奈良の飛鳥寺(当初は法興寺)で、その後、各地にも次々にお寺が建てられました。
さらに『日本書紀』によると、天武天皇14年(西暦685年)3月27日、天武天皇が「諸國家毎に佛舎(ほとけのみや)を作り、即ち佛像と経とを置きて礼拝供養せよ」との詔(みことのり)を出しました。
この「仏舎」が仏壇のおおもとではないかといわれています。
※現在、業界団体である全日本宗教用具協同組合では、天武天皇の詔が出された3月27日にちなみ、毎月27日を「仏壇の日」に定めています。
ただし、天武天皇の詔にある「仏舎」が仏壇だったというわけではなく、まずは貴族や武士が自邸の敷地内に仏像を祀る堂(持仏堂)をつくるようになったようです。
この持仏堂が次第に小さくなり、家屋の中に持ち込まれて「仏壇」になったという説が有力です。
その後、「仏壇」が庶民に広まるきっかけになったのが、室町時代の中ごろ、浄土真宗の蓮如上人が真宗門徒に対して、家に仏壇を置いて仏様(阿弥陀如来)をおまつりするよう説いたことだといわれます。
蓮如上人が広めた仏壇は、先祖の位牌を置くためのものでなく、あくまで仏様をおまつりするためのものです。今でも真宗では、仏壇は基本的に仏様を拝むためのものとされています。
さらに江戸時代になると、キリシタン禁止令が出され、「寺請制度」が導入されました。
この「寺請制度」により、庶民も家ごとに菩提寺を決め、その檀家になることが義務付けられました。
これによって葬儀のほか、年忌法要やお盆、彼岸などの行事が定着し、また家には仏壇を置いて、朝夕礼拝したり、命日に僧侶を呼んで供養することが習慣になったとされます。
また、江戸時代には漆や蒔絵など工芸関係の技術が発達し、各地で工芸的に優れた仏壇がつくられるようになったことも普及につながりました。
こうした長い年月をかけて、「仏壇」はお墓と並び、日本における葬送儀礼において欠かせないものとなっているのです。
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