お墓と弔いの歴史(4)仏陀の遺骨を納めた「ストゥーパ」がお墓の原型
かつて、お墓といえば四角い石に家名や家紋などを彫った和風の家族墓が一般的でした。家々には仏壇もあり、宗派ごとのご本尊とともに先祖の位牌に日々、手を合わせるのが普通でした。
しかし、時代とともにお墓や仏壇は多様化し、弔いのあり方も変わってきています。
いま一度、お墓と弔いの歴史を振り返ってみることには意味があるはずです。
今回は、お墓の原型とされる「ストゥーパ」がどのようにインドで誕生したのかを振り返ります。
「ストゥーパ」とはもともとインド各地に建てられた、釈迦(ブッダ)の遺骨などを収めた塚のことです。
釈迦(ブッダ)は仏教の開祖であり、名を「ゴータマ・シッダールタ」といいます。
紀元前5世紀頃、インドとネパールの国境沿いにあったとされるカピラバストゥという小国の王子として生まれました。
何不自由なく育ち、結婚して子も生まれましたが、29歳のときに出家。6年間の苦行の後、35歳で悟りをひらくと、80歳で亡くなるまで布教を続けたとされます。
「釈迦」とは、ゴータマ・シッダールタの出身部族の「シャーキヤ」族の音を漢字に写したもので、「釈迦牟尼」は「シャーキヤ族の聖者」という意味の「シャーキヤムニ」を同じく漢字に音写したものです。
また、「ブッダ」とは「目覚めた人」という意味で、もともとインドではすぐれた修行者や聖者の呼び名でしたが、仏教では釈迦の尊称となったものです。
釈迦が亡くなったのは、インド北部・クシナガラの郊外にある沙羅双樹の下でした。
ちなみに、釈迦が亡くなった年については、いくつか説があり、主なものは次の通りです。
紀元前544年 : 南伝仏教説
紀元前485年 : 『衆聖点記』説
紀元前383年 : 中村元説
釈迦の遺体は、クシナガラを治めていたマッラ族の手によって、インドの伝統的な葬法である火葬(荼毘)にふされましたが、その遺骨(仏舎利)を巡って、釈迦に帰依していた他の部族や国との間で争いが起きました。
そこで、あるバラモン(司祭)の提案により遺骨を8つに分け、それぞれの地域、国で「ストゥーパ」に納められたということです。
「ストゥーパ」とはサンスクリット語で本来、ものが堆積して高くなり目立つという意味ですが、そこから土を半球形に盛った「塚」を指すようになったようです。
さらに、仏教においては、釈迦(ブッダ)の遺骨である「仏舎利」を納めた塚を「ストゥーパ」と呼び、重要な信仰対象となったのです。
なお、「仏舎利」とは、遺骨や遺体を意味する「シャリーラ(あるいはサリーラ)」の音写です。
遺骨を大切にする日本人の感性は、釈迦(ブッダ)が亡くなったときのこうした経緯から始まっているのかもしれません。
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