お墓と弔いの歴史(5)仏舎利を細かく分けてつくられた数万の「ストゥーパ」
お墓と弔いの歴史を振り返るこの連載。
今回は、お墓の原型とされる「ストゥーパ」がインドに広まっていった経緯を見ていきます。
前回、触れたように、釈迦(ブッダ)が亡くなった後、その遺骨(仏舎利)は8つに分けられ、各地の「ストゥーパ」に納められました。
そして、初期の仏教徒が礼拝の対象としたのは、この「ストゥーパ」に納められた仏舎利、すなわち「シャリーラ(あるいはサリーラ)」でした。
インドでは前3世紀、マウリヤ朝の第3代であるアショーカ王が全土の統一を果たしました。アショーカ王はもともと冷酷無比な君主でしたが、統一の過程で多くの人の血を流したことを悔い、仏教に入信した後、仏教を手厚く保護するようになりました。
アショーカ王の仏教保護策の中でも特に有名なのが、8つのストゥーパに納められていたブッダの遺骨(仏舎利/シャリーラ)を掘り出してより細かく分け、インド全土に8万4000ものストゥーパをつくって分配したことです。
その後、さらにストゥーパが増えて仏舎利/シャリーラが足りなくなると、宝石や経文、遺骨などをしかるべき読経などをしたうえで仏舎利/シャリーラとみなすようになったといいます。
なお、この頃につくられた石積みのストゥーパが、インドのほぼ中央に位置するサーンチーに残っており、「サーンチーの仏教遺跡」として世界遺産にも指定されています。
インドで生まれ、広まった「ストゥーパ」はやがて、中国へ、そして日本へと伝わり、次第にその形を変えていきます。
ご遺骨、遺灰からつくるメモリアルダイヤモンドについて
くわしくはライフジェムジャパンのホームページをぜひ、ご覧ください。