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お墓と弔いの歴史(6)中国に仏教が伝わり「卒塔婆」に変化

2021年5月10日

お墓と弔いの歴史を振り返るこの連載。

今回は、お墓の原型とされる「ストゥーパ」が、中国へ伝わってからの変化についてみていきます。

 

紀元前5世紀とも4世紀ともいわれますが、インドで仏教の開祖である釈迦(ブッダ)が亡くなった際、遺骨(仏舎利)は8つに分けられ、各地の「ストゥーパ」に納められました。

 

さらに紀元前3世紀頃、インドを統一したアショーカ王は、それらの遺骨(仏舎利)は掘り出してさらに細かくし、インド全土につくった84000の「ストゥーパ」に納めたといわれます。

 

その後、仏教とともに「ストゥーパ」が、インドから中国へ伝わったのは、紀元1世紀、後漢の頃とされます。

 

中国では、「ストゥーパ」の音を写し、「卒塔婆」といった漢字表記になりました。

特に「トゥ」については適当な字がなかったため、土を盛った塚にちなんで土偏(つちへん)に「荅」を組み合わせ、新しく形声文字として「塔」という漢字がつくられました。

 

現在、細長く高い建築物全般を「塔」といいますが、もともとは「ストゥーパ」のことを指したものです。

 

また、「ストゥーパ」の形も変わりました。

インドでの「ストゥーパ」はお椀を伏せたような半円球が基本でしたが、中国に伝わると伝統的な木造や石造の「楼閣」と呼ばれる建築様式と融合し、まさに「塔」になったのです。

三蔵法師(玄奘三蔵)が建てたといわれる長安の「大雁塔」(唐時代)

https://www.ctwm.org.tw/jp/art_1_arti.html?id=8

 

 

中国では、仏教寺院の形も変わっていきました。

 

例えば後漢末期、『三国志演義』にも登場する笮融(さくゆう)という武将は、多くの人が一緒に仏像を礼拝したり、祈願したりできるよう、1階が「大仏殿」でその上に「卒塔婆」を合わせ持る壮大な寺院をつくったといわれます。

 

インドでは「ストゥーパ」が信仰の場の中心だったものが、中国においては次第に「大仏殿」や「本堂」が中心になっていったのです。

 

中国で広まった仏教と「卒塔婆」は、やがて日本へと伝わっていきます。

 

 

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