お墓と弔いの歴史(9)「五重塔」の影響で「五輪塔」や「板塔婆」が生れた?
お墓と弔いの歴史を振り返るこの連載。
今回は、仏教伝来とともに日本で生まれた木組みの「五重塔」がその後、さらに石でつくる「五輪塔」やお墓などでみかける木札状の「板塔婆」に変わっていったことを取り上げてみます。
前回まで説明してきたように、仏陀の遺骨を納めるためにインドで生まれた「ストゥーパ」。それが中国に伝わり「卒塔婆」として木や石の塔になりました。仏教とともに日本に伝来すると、各地の寺院において日本独自の建築物である「五重塔」などになりました。
五重塔などはその後も全国各地で建てられましたが、その影響を受けて平安時代の後期に登場したと考えられるのが、石でつくる「五輪塔(ごりんとう)」です。
五重塔などには仏陀の遺骨(仏舎利)を納めますが、「五輪塔」は亡くなった人の供養のためや墓として使われ、五輪卒塔婆とも呼ばれます。
図表 五輪塔の例(奈良市西大寺奥の院 興正菩薩叡尊五輪塔)
※http://saidaiji.or.jp/treasure/t05/
五輪塔の由来については、インドが起源であるという説もありますが、インドや中国、朝鮮にはそれに当たるようなものは存在せず、現在では仏教の経典に基づいて日本で考案されたものと考えられています。
仏教の経典に基づいてというのは、『大日経』などに現れる密教系の思想のことです。
古代インドでは、「地」「水」「火」「風」「空」の5つの要素(「五大」)が宇宙を構成すると考えられており、それらが日本で塔の形になったというのです。
おそらくそこには、冒頭に述べたように五重塔の影響もあったはずです。
「五輪塔」は具体的には、次のような形の石を下から順に積み上げてつくられます。
「地」=地輪:方形(立方体)
「水」=水輪:球形
「火」=火輪:宝形(四角錐または三角錐)
「風」=風輪:半球形
「空」=空輪:宝珠形(上部が尖った球)
五輪塔は平安時代の後期、まず密教系の宗派(真言宗や天台宗)で登場したようですが、鎌倉時代からは他の宗派でも見られ、日本中でつくられるようになりました。
材質は石が多いものの、木や金属、水晶、陶製、土製のものもあります。
図表 木製の五輪塔の例(愛知県性海寺 木製漆塗彩色金銅種子装五輪塔)
※https://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/kougei/kunisitei/0488.html
また、形の上でも立体だけでなく、板碑や舟形光背(ふながたこうはい)に彫られたり、磨崖仏として彫られたものも出てきました。
図表 舟形光背に描かれた五輪塔の例(尾道市持光寺 舟形光背五輪浮彫塔)
※http://makobei2008.blog82.fc2.com/blog-entry-95.html
さらに、その延長線上にあるのが、墓地などでよく見かける木製の板塔婆です。
木製の板塔婆は通常、縦長の木片に経文や題目などを書き、「追善供養」のため墓の後ろに立てますが、上部に切り込みが入っており、それが五輪塔を表しています。
追善供養とは、葬送、納骨や年忌法要、お盆やお彼岸の墓参りなどで、喪主などが亡くなった人を弔い、冥福を祈り、成仏を願うために行う供養のことです。
なお、浄土真宗では卒塔婆を使いません。浄土真宗では、亡くなった人はみな阿弥陀仏のおられる極楽浄土で仏さまになられるとし、追善供養という考えがないからです。
図表 板塔婆の上部の切り込みと五輪塔の関係
※https://guide.e-ohaka.com/glossary/sotoba_toba/
このように、インドから日本に伝わった「ストゥーパ」は長い歴史の中で形を変えながら、いまも私たちの暮らしの中に受け継がれているのです。
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